日本の右翼においては、諸外国の右翼に見ることの出来ない現象がある。外国人(主に在日コリアン)が右翼活動を行うという現象である。このような「ねじれ現象」が発生した原因には、戦前に日本政府は左翼の対抗勢力として、任侠団体・暴力団を右翼勢力にまとめ上げようとした経緯があり、戦後においては暴力団構成員の多くが、社会に受け容れられず実力のみを評価される世界で生きざるを得なかった在日コリアンであったために、世界にも希な外国人右翼が生まれた。 日本の左翼においても、左翼団体の構成員の多くに在日コリアンが所属しており、こちらも特筆すべき現象であろう。 日本の右翼思想に共鳴する在日コリアンとしては、前田日明、のちに帰化した呉善花などが有名である。 連邦政府の覇権主義政策を全面的に外為 する勢力があり、彼らは日本同様「愛国者」を自称している。 殊に2001年以後の米国では、ネオコンと呼ばれる新保守主義とキリスト教右派の台頭が顕著である。 奴隷制の負の遺産として、白人至上主義が歴史的に存在している。また公民権運動の成果であるマイノリティー擁護政策の反作用として、有色人種がターゲットにされる(クー・クラックス・クラン (KKK) 、ミリシアなど)。 元大統領候補パトリック・ブキャナンは、移民流入が西欧を堕落させたと主張している、熱烈な国内産業保護主義者。彼はユーゴ紛争介入に反対したために左翼に非難されている。また、イラク戦争にも反対している。彼も右派に属するであろう。 中国においては、近年愛国的・反日的風潮が高まり、学生を中心とした大規模な反日デモが発生した。「愛国無罪」を主張、日本大使館への襲撃などが特徴としてあげられる。政府もまた、格差拡大など社会問題のガス抜きとして、共産主義に矛盾しない形で愛国(反日)教育を推進している。また憤青と呼ばれる民族主義勢力の動きが注目された。こうした行動があっても日本の左翼の対中迎合姿勢に変化があまり見られないことから、日本の右派は「日本の左翼が中国の民族主義右翼を擁護するおもしろいねじれ現象」と評する。 朝鮮半島においては、FX 鮮政府が異なった政治体制を敷き、その内容、実態には大きな開きがあるものの日本の朝鮮統治に否定的な点では共通している。民族分断という現実から、その遠因であるかつての日本の朝鮮併合統治を植民地支配として糾弾することで、愛国心や統一への機運を盛り立てるために、政府が積極的に宣伝・教育を行ったためである。竹島(朝鮮名・独島、英名・リアンクール岩礁)帰属問題や小泉純一郎など日本の政治家の靖国神社参拝問題、慰安婦問題などでは、政治的な右翼・左翼を問わず、多くの国民が共通の立場に立つ。長い間反共の砦だった韓国でも、比較的親北の盧武鉉が元首の座に就いたことがあったりと、ねじれ現象も起きている。 したがって、日経225 の軸となるものは日本及び他国とは大きく異なる。 欧州連合(EU)では、ホロコーストの惨禍への反省からドイツを中心にナチズムの規制が進み、極端な右翼は少数派にとどまる。一方、近年ではEU拡大などにより移動の壁が取り払われた結果域内への外国人流入が進み、仕事を奪われるなどの不安感から移民がスケープゴートにされやすく、各国で右翼勢力の存在感が高まっている現状がある。 ドイツの右翼は、ネオナチの勢力が最も有名であるが、ナチズムに対して否定的な右翼もいる。ナチス系の右翼にはナチス的だが反ヒトラー派があり、またコンスルなどの流れを引く右翼は反ナチ系の極右である。 ネオナチはトルコ等からの移民を、攻撃対象にする。 イタリアにおける新しい右翼思想として、ネオファシズムが勃興している。その影響でベニート・ムッソリーニの再評価も行われた。 国民同盟(ネオファシスト)など、ネオファシズムが全イタリアの一体化・連帯を訴えるのに対して、イタリア北部に地盤を持つ北部同盟は、貧しいイタリア南部を切り離し、北部のみで分離独立しようと主張する。都市国家の歴史の長いイタリアならではの自国民排外主義である。 旧「君主党」など、王政復古を目指す王党派も存在する。 ちなみにネオファシズム、ネオファシストと言う用語は、日本でも新左翼が自民党、民主党、石原慎太郎等を批判する際に多用される。 ジャン=マリー・ル・ペン率いるフランス国民戦線が近年伸張著しい。移民とりわけ旧植民地のアラブ系とアフリカ系黒人の排斥、人工妊娠中絶反対を唱えている。 イギリス国民戦線が存在し、外国人移民排斥やアイルランド奪取などを訴えている。保守党系列のテロ集団アルスター義勇軍などもある。 ネオナチ政党「フランドルの利益」が台頭しつつある。国政においても一定の勢力(議席・支持者)を持つ。 1986年、元ナチス将校であったクルト・ヴァルトハイムが大統領となり、欧米で問題視された。1989年連立内閣の一員であったオーストリア自由党党首に親ナチのイェルク・ハイダーを選出して、オーストリアがヨーロッパから孤立しかけた。後に連立解消。 1936-39年のスペイン内戦では、ドイツ・イタリアがファシズムにきわめて親和的なファランヘ党などの反共和国勢力を支持した。また他のヨーロッパ諸国も不干渉を口実に傍観した。共和国政府を倒し勝利したフランコは、第二次大戦においては、枢軸国との距離をおいて中立を宣言し、難局を乗り切った。欧州にあって例外的に1975年まで円満に政権を維持した。そのファランヘ党の系譜を引く国民党が1996-2004年政権を担当しており、現在も強力な野党である。 ネオナチの勢力が強く、外国人への襲撃が後を絶たない[要出典]。政界ではウラジーミル・ジリノフスキー率いるロシア自由民主党がロシア国内である程度の認知を受けている。アラスカ返還論、核攻撃論、北方領土非返還論を唱え、その強硬さが却って国民受けしている。プーチン政権下では「強いロシア」が掲げられ資源外交や愛国的姿勢(ナーシなど)が目立ち「右翼的」傾向が指摘される。2008年メドヴェージェフ大統領が当選した(ただしプーチン氏も首相のポストを得ており今後の行方が注目される。メドヴェージェフ本人はリベラリストとされる)。 イスラム社会の世俗化、西欧化に対抗する形で、イスラム原理主義が一定勢力を持っている。またパレスチナ問題の未解決はイスラエル寄りとされる米国への不信感を招き、反米の様相を呈す一因となっている。(ハマス、ヒズボラ、ムスリム同胞団、タリバンなど)。近年にはイラク戦争を嚆矢としてこれに対テロ戦争が加わった。イランでは核問題などと絡みアフマディネジャド大統領など強硬的言動を行う政治家が存在する。 旧約聖書などユダヤ聖典で唱えられる、「約束の地」は全てイスラエルのものであるとする大イスラエル主義思想が、ユダヤ教原理主義聖職者のみならず、政権党リクード内部にも存在している。彼らは、自分たちイスラエルは世界中からユダヤ難民を受け入れたのだから、アラブ世界がパレスチナ難民を収容すべきだと、主張する。 長谷川 英憲(はせがわ ひでのり、男性、1938年3月6日 - )は、日本の政治家。元東京都議会議員、元東京都杉並区議会議員。「都政を革新する会」(略称「都革新」。旧「杉並革新連盟」)代表。政治・選挙活動では 長谷川ひでのりと名前を平仮名にする。俗称長谷川エイケン。 革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)から公然と支援を受けている。 都議選出馬以降、杉並区議選については後継の結柴誠一・新城節子に譲っていた。しかし2007年、路線対立で2人が離脱、区民派無所属としての出馬を表明。長谷川はこの動きを強く批判し、都革新の候補として事務局長で前回出馬し落選した北島邦彦を擁立し、2007年度杉並区議選にて当選させた。 長野県に生まれる。長野県小諸商業高等学校を卒業し、会計検査院に入庁。働きながら早稲田大学第二政治経済学部卒業。 1967年 70年安保・沖縄返還・公害問題・消費者保護を争点に杉並区議会議員に当選。 1989年 - 1993年東京都議会議員。 2000年 衆院選に東京8区より出馬、落選。 2005年 都議選に杉並区選挙区より出馬、落選。 福祉重視政策・消費税廃止・中小企業者保護・日本国憲法改悪阻止などを掲げる。選挙運動中、何度か日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)による襲撃を受けており、治療のため頭に包帯を巻いたまま表に出たことがあった。
〜厳しい転職の現状〜 |
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